東北蔵訪問ツアー
11月上旬の店舗長期休暇を利用して、仙台を拠点に日本酒蔵、ウィスキー蒸留所訪問してきました。
今回訪問したのは、「日高見」平孝酒造、SAKE COMPETITION常に上位入賞の「写楽」宮泉銘醸、「勝山」勝山酒造、「宮城峡」ニッカウィスキー宮城蒸留所
各蔵、酒造シーズンに突入し、お忙しい中、時間割いて頂きました。
初日は福島県会津若松の「写楽」の宮泉銘醸へ。広島を朝7時前早朝に出発し、到着したのは夕方、なかなか遠い道のりでした。
会津若松の中心、鶴ヶ城のすぐ近くの街中に蔵はあります。とても敷地も広く漆喰のきれいな外観です。
ご案内いただいたのは、杜氏の山口さん、取締役の宮森大和さん(義弘社長の弟さん)です。
宮泉銘醸は、もともと他の蔵の分家であり、現在4代目。写楽の銘柄は、他の廃業した蔵から引き継いだもの。
元々蔵の銘柄は「宮泉」で普通酒を中心に作られていました。コンピュータSEだった義弘さんが蔵に戻り、酒造りを始めた当初は、地元の普通酒を作っており、こだわった酒を造りたい義弘さんと杜氏、現場の蔵人とはたびたび衝突もあり、蔵を去る人も多かったそうです。現当時の山口さんは義弘さんの小学校からの友人。山口さんもコンピュータ関連の仕事からの全く違った仕事への転身。二人の二人三脚での挑戦でした。
酒作りだけでなく、徹底した蔵の衛生管理、設備投資は凄まじい事が現地で感じられました。蔵にはゴミどころか、埃、米一粒も落ちていません。
米が一粒でも落ちていたら、弟の大和さんが呼ばれ、指導されるそうです。
年中蔵のどこかでは設備の工事が行われているそうで、とても広い蔵の中の各所徹底した美しい漆喰、木の柱、考えに考え抜かれた設備、レイアウト。
データの分析室も徹底した設備です。経験とデータの両方をこなして酒質の向上を求めています。
こんなにこだわった造り、徹底した酒造りへの姿勢、夜遅くになり明日に回せる工程があっても完全にやりきって翌日に臨むそうです。
蔵人のほとんどは20代の若者。蔵の姿勢に惚れ、県外から来ている方もいるそうです。
この勢い、姿勢が、近年の写楽の数々の受賞につながっているのでしょう。
仙台への高速バスの時間も迫り、蔵の方との写真撮影もできず、急いでバス停へ。
そしてまた、長い2時間半のバス。仙台についたのは21時半。なかなかハードです。
2日目は釜石の平孝酒造へ。仙台からは1時間電車で釜石駅へ。石巻は石ノ森章太郎にゆかりがあるようで、駅舎にサイボーグ009が。
平孝酒造は釜石駅のすぐ近くにあります。
最初は社長の平井さんにお話を伺いました。社会人になって東京で過ごしていた平井さんに宮城で経営的に厳しい状況の実家の蔵の話があり、平井さんが実家に戻り、何とかしようと蔵に入られました。
杜氏は日本酒は飲めればいい的な質を求める時代ではなく、何とかしようにも営業に回っても成果には結びつかない。焼酎ブームの中、新潟酒に代表される地酒吟醸もおいしい酒として人気がありました。
このままでは廃業に追い込まれんばかりの中、こだわった造りに取り組み、なんとか挽回したい、そんな中、現銘柄の「日高見」は廃盤の銘柄から見つけ、この名前で行こうと決めたそうです。
そうはいっても、酒の勉強をしたことのない平井さんは悪戦苦闘。そういった中、醸造研究所から、一度きちんと勉強してはどうかとの誘いがありました。
そこで学んだ結果、とびとびの知識がきっちりとつながり、全体が広く見えるようになりました。そして、運命を変えたのが、金沢の寿司との出会い。
石巻の寿司は、注文すると下駄や寿司桶に盛られて一気に全部くる。金沢で出会った寿司は、まず、「今日は精一杯握らせていただきます」と挨拶があり、丁寧に一つ一つ握られてくる。連れて行っていただいた方に「すぐ食べるんだよ」と教えてもらう。口に入れた途端、シャリがパラパラとほどけ、ネタと一体になって口の中に広がる。衝撃的な出会いでした。
そこから寿司にはまり、これに会う酒が自分の酒だと感じ、寿司、魚に会う日本酒造りに進んでいったとのこと。
そして、広島との縁も強くあった。醸造研究所が広島西条にあったこともあり、広島の蔵、雨後の月、富久長にもたびたび足を運だとのこと。今では第2の故郷と思っているほどで、広島の寿司屋「とくみ鮨」さんも御用達と、平井さんがduncyuで話した記事を、傍らから見せていただきました。
私もその記事は記憶にあって、よく見たら、その号は石まつがduncyuに載っている号で、平井さんも驚かれていました。
お話をしっかり伺い、蔵の中にご案内いただきました。
平孝酒造は正面は古めの木造に見えましたが、蔵の殆どは石蔵となっています。東北の震災では若干高さのある場所で、浸水程度にすんだそうですが、石蔵の中の木の柱、屋根等はかなりの被害で、相当の修繕が必要となりました。
蔵の存続も心配されましたが、震災支援の低金利借り入れ、ものづくり補助金の助けもあり、蔵の最新設備への転換を決断されました。
写楽の宮泉銘醸さんもそうでしたが、寒い地域ではあっても、春先、秋口の温度変化に対応するよう、蔵自体の殆どを冷蔵庫内にしていまう冷蔵蔵になっていました。
話も盛り上がり、時間も押してきて急いで仙台郊外の勝山酒造へ移動。
電車で移動でしたが、のどかな海の傍ら、震災の傷口が車窓から見られました。
勝山酒造は伊達政宗の御用達蔵で、仙台市内にも広大な敷地、レストラン等複数所有されています。
郊外のいい仕込み水を求めて移転、最先端の醸造機器を使い、手間暇もしっかりかけ、一般的に1000石という量以上の生産量であれば、ある程度多いといわれていますが、勝山さんは少量700石をしっかりと仕込んでおられます。そういった丁寧な仕込もあってか、価格もやや高めですが、これまた、SAKECOMPETITION連続一位、InternationaiWineChallengeでも金賞と相当な成果を残されています。
これが獺祭も使っている搾り機「遠心分離機」。かなり高額だそうです。
この搾り機によって、「勝山 献」は作られ、数々の賞をとっているそうです。
各種の酒の説明も丁寧にしていただき、試飲もじっくりさせていただきました。
2日目を終了し、仙台の名のある「文化横丁」の寿司屋さんで、日高見を始めとして宮城の魚と銘酒を堪能させていただきました。
最終日は、宮城の郊外にあるニッカウィスキー宮城峡蒸留所へ。
竹鶴正孝が北海道余市に続いて選んだ蒸留所の場所が宮城峡。現地に来るなり、正孝は素晴しくウィスキー造りに適した環境に即決したそうです。
広島にあるニッカバー「今市」さんでニッカウィスキーの「余市シングルカスク」で感動して以来、ニッカファンなので、とても楽しみに見学させていただきました。
こうして怒涛の休まる間もない、観光も一切なしで寂しいですが、充実した旅を満喫しました。
本当にたった一人のために、仕込のお忙しい中お時間いただいた事に感謝です。
お礼状をしっかり書こうと思っております。
そして、皆さん、5月の全国新酒鑑評会あたりに広島に全国から集まられますが、その際にお会いできることを楽しみにしています。